手は口ほどにものをいう。



そう、仏さまの意思は手と持ち物において大部分表わされます。


とりわけ腕から手指先にかけては

仏師にとっての見せ所?のひとつでもあります。


仏さまはヒトではないけどヒトのカタチをしていますよね。


似てるけど違う。


赤ちゃんの手のような無垢な感じのする手とでもいいましょうか。


具体的には、関節はなめらかに

指先になるほど細くなるもののふっくらと


指先にまで緊張感がありながら自然な美しい動き。


そうそう頭や体に対する手の大きさのバランスも大切ですよね。


むつかしくとも面白く楽しいトコロでもあります。



浄住寺の釈迦牟尼像のお話の続きなのですが、お預かりした仏像は実はあと二体あります。

本尊 釈迦牟尼像のお厨子が安置されてた須弥壇上には
脇の隠れたスペースに無造作に片付けられた仏さまが二体ありました。

ずいぶん痛んでるようです。


この際なので、片付けも兼ねて全て須弥壇から降ろしたところ
これまた珍しい仏さま、そしてお地蔵さまがおられたんです。

珍しいというのは、本尊よりも小ぶりのお釈迦さまの事なんですが
いわゆる出山の釈迦と言われるカタチです。

修行し痩せてぼろぼろの衣を纏った姿なのです。
あまり彫刻では見かけませんね。
おそらく本尊と同じ頃の作と思われます。

私が気になっていたのは、もう一体のお地蔵さま。


ぱっと見は平安時代の様相です。

ずいぶんと痛んで彩色もわからないくらい汚れていますが、よく見ると截金らしき文様もうかがえます。

仏所に持ち帰ったところ仏師の皆の見解も平安時代後期かなと。
11〜12世紀ごろね。

同志社大学の井上先生も平安時代後期とおっしゃったのでこれはいよいよ間違いないかと。

両手、両足先が無いのと持物が無いなどの他多少の欠損はあるもののなんともスッとしたかわいいお地蔵さまです。

時代の古さもさることながら将来的には文化財となるかもしれないとの見立てです。

ほーほー!
なんだか皆ちょっとした興奮状態。

だって800年以上前の仏さまなんですもん!

                       これまた続きまーす。




仏像をつくる、描くということはどういうことなのでしょう。


1400年以上も前からある仏さまのイメージは大きく変わる事はありません。


どこかの誰かが仏さまをつくっていたのですよね。

あたりまえなんですけど。


私に限らずこの国に生まれたなら、

多かれ少なかれ仏さまに出会わない人はいないのではないでしょうか。


私はたまたま仏さまをつくる家で育ちましたので、

いつの間にか仏の姿というものが刷り込まれて私の中にありました。


仏さまのイメージを現すことを目の当たりにしてきたことで、

なんの気負いもなく描く事への一歩を踏み出せました。


過去の魅力的な仏像や仏画をトレースすることは、技法を知る上で大切なことです。


同時にその神秘的な世界にこころを馳せ、表現するに必要な何かをつかみたい。


約束事はあるものの、仏さまの世界は無限に広がります。


いろいろなお経に説かれる仏さまは

優しかったり眉をひそめるたり、すごく怒ってたり

ただ、いずれも大切なことは


らしさ    仏らしさ


誰がみても仏さまと感じる。


なんだかよくわからんけどいいなと思える。


それって

うまいとかへたとか

キレイとかキタナイとかそういう価値感を超えたところにあるのだなと。


古くから残された仏さまは、目の前に出会えることがもう奇跡なのです。


その奇跡に私は感動するのだなぁ。






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